記憶は誰のもの?
Whose memory is it
記憶は他人の言葉で書き換えられる。
写真、会話、SNSの断片――それらが少しずつ過去を塗り替えていく。
たとえば誰かが
「あのとき笑ってたよね」
と言えば笑っていなかった記憶でさえ、
その声色に合わせて表情を変える。
記憶は所有物ではなく、
共有された幻想のようなものかもしれない。
思い出を語るたびに少しずつ別の物語になっていく。
それでも人は「あれは確かに自分の記憶だ」と信じている。
けれどその自分さえも、
他人のまなざしの中で形を持つ存在なのだとしたら。
私たちはいったい誰の記憶の中で生きているんだろう。
Yokohama refle mocatic

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