横浜リフレ発「好かれたい」と思って生きるのもうしんどい。

横浜リフレ発。人に合わせすぎて本音がわからなくなった。『好かれたい』に縛られてきた自分と向き合うための読み物です。
横浜リフレ発「好かれたい」と思って生きるのもうしんどい。

「好かれたい」と思って生きるのもうしんどい。

嫌われたくない。変に思われたくない。迷惑かけたくない。怒らせたくない。

…で、結局「自分が何考えてるかよく分からない」。

これずっと私だった。

いい子でいれば、平和だった

学校でも職場でも「いい子」はトラブルを避ける最強スキルだった。人に合わせて、空気を読んで、相手の顔色を見て。何か言いたいことがあっても先に「場の正解」を考えて飲み込む。そんな風にして生きてきた。

それが普通だった。だって変なこと言って「何あの子」って思われるの嫌だったから。

「本音で生きよう」が分からない

SNSでもよく見る、「もっと本音で生きようよ」という言葉。でも、正直に言うとどうやって?って思ってた。本音を話すってどうやるの?

自分の気持ちがわからないのに本音なんて出せるわけがなかった。

「好かれたい」と思いすぎて自分の気持ちを置いてきぼりにしてたことにやっと気づいた。

人に嫌われない代わりに自分にも好かれてなかった

人に合わせてばかりいた結果誰からも嫌われなかった。でもそれっ、誰にもちゃんと見られてなかったってことかもしれない。自分自身にも。

合わせることは悪くない。それだけじゃ自分が消える。

少しずつ「自分に好かれる自分」へ

あるとき「あ、この人私のことそんなに好きじゃなさそうだな」って思った相手に無理に好かれようとしなかった自分がいた。ちょっとだけザラっとしたけど不思議とそのとき自分の中の何かがスッとした。

私は最近ようやく人に嫌われても「自分に好かれてる自分」でいたいって思うようになった。

誰からも嫌われないは 誰からもよく知られていないと同じかもしれない。

まとめ:それでも「好かれたい」あなたへ

「好かれたい」って別に悪いことじゃない。人らしいことだし誰だって安心したい。ただそれに疲れてしまったなら無理して合わせなくてもいい場所や人を少しずつ選んでいい。

「全部出す」は無理でも「本当の自分を知ろうとすること」はいつでも始められる。

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追記:「無理に元気な自分」をやめてみた日

ある日ふと誰にも「元気そうだね」って言われたくなくて表情を作るのをやめた。

「大丈夫」「平気」「全然疲れてない」…それを言わなかったら誰かに気を遣わせるかもと思ってた。本当は自分が「元気な私」を演じてることに一番気を遣ってた。

その日、久しぶりに会った友達に「今日は疲れてる?」って言われてなんだかホッとした。

優しさって元気じゃない自分を受け入れてもらえることかもしれない。

少しずつ全部笑顔で返さなくてもいいような自分にとっての安全な関係を増やしていけたらいい。

目次

追記:他人に優しすぎるのに自分にだけ冷たい理由

人には「ゆっくりでいいよ」「無理しないで」「ちゃんと寝てね」って言えるのに自分にはそれができない。

人には休むことを勧められるのに自分が休むと「甘えすぎじゃない?」「もうちょっと頑張れるでしょ」って言ってしまう。

これ私だけじゃないと思う。

自分にだけずっと厳しい声をかけてきた。

人に優しくできる人って本当は自分にも同じくらい優しくしていいはずなのに。 いつの間にか「私が頑張らなきゃ」とか「私だけはしっかりしてなきゃ」って思い込んでた。

その優しさの源はきっと本物だから。 自分に向けたときもっと強くなると思う。

「大丈夫だよ」って言ってあげて。 それあなたにも必要な言葉だから。

追記:好きな人にほど自分を出せない理由

どうでもいい人には冗談も言えるしちょっとしたワガママも言えるのに

肝心な「好きな人」にはうまく自分が出せない。

気を遣いすぎて距離が縮まらない。

「嫌われたくない」が強すぎて、本当の自分を隠してしまう。

それってもう「好かれたい」じゃなくて「嫌われる未来を防ぎたい」なんだと思う。

うまくいくことより壊れないことばかり考えて 最初から安全運転の自分で接してしまう。

でもこう思った。

この人に本当に好きになってほしいのは安全運転の自分?

怖いけど本当の自分を少しずつ出してみること。 うまくいく保証はないけどそこにしか本当の関係って生まれないのかもしれない。

追記:私が我慢してること誰も気づいてないの虚無

誰かのために気を遣って 言いたいことを飲み込んで、場の空気を壊さないように笑って。

そうやって我慢を積み重ねてきたのに気づく。

…あれ? これ誰も気づいてなくない?

「ありがとう」って言われるわけでもなく 「無理しないでね」って心配されるわけでもなくただ自然に当たり前みたいに消費されていく。

私が頑張ってるところ優しくしてるところ、気を回してるところ—— 全部誰にも見えてなくて。

なのにもし少しでも疲れた顔をすると「どうしたの?」って言われるんじゃなくてなんとなく扱いづらい人みたいな空気になる。

我慢してる時は気づかれないのに限界の時だけ察知されるの不公平すぎない?

たぶん我慢が上手い人ほど誰にも我慢してると思われない。

自分で自分に「これくらい平気でしょ」って言いながら本当はそこまで平気じゃないのに。

最近思うのは我慢って「気づいてもらうため」にやっちゃダメなんだってこと。

だって気づかれない。 永遠に。

無理してない風の私を続けた結果周りはそのキャラしか知らない。

だから少しずつでもいいから 「それは無理かも」「今日はしんどい」って言えるようになりたい。

気づいてほしい我慢より伝えたほうが早い優しさのほうがきっと自分を守ってくれるから。

「好かれたい」と思って生きるのもうしんどい。

「好かれたい」と思って生きるのもうしんどい。

追記:人を優先しすぎて自分が迷子になる話

「あなたの都合でいいよ」「こっちが合わせるから」って気づけばいつも言っている。

本当は疲れてるのに断る勇気がなくて予定を受け入れてしまったり、 自分のことより相手の気持ちを優先しすぎて自分の感情が置いてけぼりになる。

優しさのつもりでやってることが、 自分をすり減らす原因になってる。

それを「私が勝手にやってるだけだし…」って片づけて誰にも文句を言わない。 それがまた自分を見失わせる。

「優しい人」って言われるとなんだかうれしくて もっと応えたくなってもっと頑張ってしまう。

気づいたときには、 「私って何がしたい人なんだっけ?」ってわからなくなる。

優しくすることと我慢することは違う。 その線が曖昧なままだと自分の本音がどんどん薄まっていく。

「人のため」はとても尊いけど 「自分を捨ててまで」やるとそれはもう自分じゃなくなる。

ちゃんと断っても距離を取っても 好きでいてくれる人はいる。

そう思えたとき少しずつ「自分に戻る感覚」が戻ってきた。

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